展覧会会場で放映されていたVTRを見てから、また、ユリさんにお話を伺ってから、
次回 ローマに訪れることがあったら必ず行ってみようと心に決めていたのがココ。
Casa Museo Giorgio de Chirico ジョルジョ・デ・キリコ美術館
デ・キリコの没後20年にあたる1998年11月20日に公開された、彼が晩年暮らしていた家です。
Dicono che Roma sia il centro del mondo e che piazza di Spagna sia il centro di Roma, io e mia moglie, quindi si abiterebbe nel centro del centro del mondo, quello che sarebbe il colmo in fatto di centrabilità ed il colmo in fatto di antieccentricità.
Giorgio de Chirico
Memorie della mia vita
◆ ◆ ◆
要予約
(Orario e Modalità di Prenotazione)
ということで、まずは電話をかけてみた。
すると明日、明後日は既に予約満杯とのこと。
ええーっとお・・・・ ガイドブック等にも特に載っていないは、
扉横に小さな表札しか掛かってないは(場所は確認済み)、
極々ひっそりと運営してるのかと思いきや・・・?
それとも日本以外では結構有名なのかな~??
なんてアタマにハテナマークを散らしつつ、
仕方がないのでローマを発つ 明々後日の朝イチのガイド、
10時に予約。
当日の朝、9時にはスペイン広場前に到着。
さすがにこの時間はひとけもまばら。
早速目敏くミサンガ売りのオヤジが 「コンニチハ~」 と
言いながら握手を求めてくる。 ノーグラ~ツェ。
本を読んで時間をつぶしつつ、扉の前をちらちらと
チェックするも、いっこうに誰も来ないよおー。
10時2分前。 思い切ってインターフォンを鳴らす。
「10時に予約した者ですが―」 そう告げると
「4階まで上がってきてください」 と扉の鍵が開く音がする。
おおーっ。 中に入ると、上のチケットにも印刷されている
『ヘクトルとアンドロマケ』 の
巨大ブロンズ像がお迎えだー!
正面奥にある階段を上っていくと、Museo(Casa)の
扉があり、気の良さそうな男性(今度は人間)がお出迎え。
入場料は5ユーロなり。
お釣りを取りに男性が奥の事務室に引っ込んだ途端、
自分の口元が思わず緩むのがわかる。
うわわーー、うれしいーーー♪
エントランス左右の壁にびっしり展示されている
彼の作品を間近に目にし、早速一気にトランス状態へ!
アドレナリン・ノルアドレナリン・ドーパミン・エンドルフィン大放出ー♪♪
その直後、他のお客・イタリア人のおばさま2名がやってきて、
結局この3人でガイドツアーは始まりました・・・。 って、あれれ? たった3人なのねん。
◆ ◆ ◆
ガイドはもちろんイタリア語。 メモ帳片手に聴き取れた単語を殴り書きしていく。
・・・いや、ほとんど聴き取れませんってば(汗)
仕方がないので第六感で聴く。
一つ目の部屋。 1940-50年代、"いわゆるキリコ" の作風を捨て、
ルネサンス、バロック、ロマン主義的な古典絵画技法に没頭していた時代の作品。
再婚相手・イザベラの肖像画。肖像画。肖像画。そして自画像。自画像。
また、(ややその拙さを否定することはできないと思われるが)
特にルーベンスの模倣と見られる、官能的で躍動感あふれるバロック技法作品が印象的。
キリコがいつも座ってくつろいでいたというソファ。 目の前にはテレビ。
タバコをふかしながらテレビを見る至福の時間。
正面の窓からはスペイン広場、『バルカッチャの噴水』 が見下ろせる。 Spazione Riservato。
向かいのアパートの窓辺やテラスにあるプランター。緑が映える。
部屋の角にはワインやリキュール、グラスのお酒セット。
二つ目の部屋。Sala da Planzo。銀食器に囲まれる。
正面の壁には眠るイザベラの絵。 Silenzione。
セザンヌの影響を受けたと思われる、食卓上の果物。静物画の数々。
しかし大きく異なるのは、彼、お得意の奥行き感のある背景とその中に浮かぶ石膏像。
三つ目の部屋。Galleria。
15枚近くの油彩画とブロンズ(+鍍金)像。
お馴染みのモチーフ。イタリア広場。工場。兵舎。城。塔。噴水。ポルティコ。鉄道駅。汽車。
月と太陽。マネキン。仮面。三角定規。幾何学形体。木の床。砂浜。プール。白鳥。
お馴染みのテイスト。停止した時間。静寂。沈黙。誇張された遠近感。不自然に長く伸びた影。
狂う距離感。非日常。神秘的。白日夢。郷愁。憂愁。憂鬱。忍び寄る不安感。悲哀感。孤独感。
入口まで戻って、階段を上って二階へ。
左に四つ目の部屋。Camera da letto(小)。ベッド。机。本棚。
右に五つ目の部屋。Camera da letto(大)。大きなベッドに豪華なドレッサー。
窓からは見えるのはスペイン階段上、二つの鐘楼が印象的なトリニタ・デイ・モンティ教会。
写真を撮ってもいいと言うので早速ぱちり。
廊下にはデッサン、習作が並ぶ。
そして最後、六つ目の部屋。 ・・・・興奮の最絶頂、アトリエ。
意識的に揃えたのか、明度の高い床に、白い壁、白い天井、白い本棚、白いソファ、白いカーテン。
そして大きな天窓からは陽光が降り注いでいる。
この部屋で、晩年のあの傑作たちが描かれたのか―――
二つのイーゼルにはキャンバスが二つ。
描きかけの絵。イザベラの絵とミケランジェロの模写か。
テーブルには絵の具。溶き皿。天秤。電気スタンド。クレヨン。ペン。
使い込まれたパレット。何十本もの汚れた絵筆。溶き油。油壺。
そして椅子の上にはグレーの上着。
壁際にはぐるりと本棚。 ・・・おおっと、その中に日本語タイトルを発見!
なぜか 『日本の凧』 (俵有作編著、薗部澄撮影、菊華社)が。
本棚の上にはギリシャ彫刻石膏像と作品模型がびっしり。
ブリキのおもちゃの馬車。マンマの写真。
Michel Guy から贈られた Accademico di Francia の剣。太陽の細工。
最後に、立て掛けてあるキャンバスの裏側を見せてくれる。
イーゼルに吊るされていたのは
ベル、タンバリン、馬の蹄鉄、唐辛子・・・と、 魔除けグッズの数々(笑)
以上、所要時間50分。 入口に戻って芳名帳に記帳しておしまい。
◆ ◆ ◆
確立し既に評価を得ていた独自の作風を捨て、いや、捨てるだけではなく否定までして
普遍的価値を求め古典絵画に傾倒したものの、晩年に初期の作風に回帰していった、
その経緯の真意については勉強不足のため知り得ていないのですが、
この Casa Museo を訪問して感じたことは、
戦争体験だったり、周囲の不理解だったり、
偏屈なアーティストをさらに無口に、孤独に追いやる過去があったとしても
少なくとも このローマでの彼の晩年の暮らしはそれなりに満たされたものだったのではないかな。
このような一等地に豪華な調度品を揃えた家を構える経済的な豊かさは
彼が得た多大な評価の表れであり、それは精神的安定へと繋がっていたと思われ、
また、数々の肖像画からは 傍らにいたイザベラへの愛情と信頼が感じられます。
窓やテラスの眺めからはローマの潤沢な街並みと人々の活気を享受していたに違いありません。
何より、白を基調とした光あふれるアトリエは穏やかな空気に包まれていました。
作品タイトルだったり、彼の作品を語る際によく使用される表現を
「お馴染みのテイスト」 として前述しましたが、
私がそこから受ける印象としては負の要素はそれほど強くありません。
たとえば彼の画風の特徴のひとつである、ハッキリと描かれた対象物の輪郭線。
何度も重ね描きされ、太さもバラバラな描線からはプリミティブな温かみを感じます。
絶妙なトーンでまとめられてはいますが、緑の空、赤い建物、黄色い地面など
色相差に富んだ配色はオモチャ箱の中を覗いたようなキブンに。
有機的に融合された幾何学形体、擬人化された物体、マネキンのフォルムやポーズ、
どれも非常にコミカルでチャーミング。
消失点へと長く伸びる建物や尾を引く影が切り出す不思議な遠近感には
積極的に視線を誘われ その先にある何かに期待感を抱かせられ、
通常パッセッジャータ中の人であふれるイタリア広場に全くひとけがないなんて、
いったい何が起こったのか? ・・・そんな謎解き想像力がかきたてられます。
そして、特に晩年の彼の作品からは
それらの表現に迷いの無い、より冴えた色彩と筆遣いが見て取れます。
穏やかな暮らしの中で、きっと彼は
次は何を描こうか、どんなモチーフを組み合わせようか、
わくわくしながら、楽しみながら、作品を創り出していたのだろう。。。
・・・・なーんて、甚だ勝手な解釈をしながら。
この旅、最大の興奮を得たのがこの美術館というのは
やはり自分のエセ・イタリア好きっぷりが如実に表れているような気がします・・・(笑)
◆ ◆ ◆
というわけで、今年もなんとかイタリアを旅してきました。
今後ぼちぼちと、相変わらず時系列を無視した旅レポをアップしていこうかなと思っています~。