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Senza nome - Blocco note
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| # by dicotomia | 2007-05-06 01:13 | いろんなイタリア語
Charta Appia ― ma non tutte le strade sono uguali
La Via Appia, arteria principe delle strade dell'epoca antica che partivano dal centro della città verso il resto del mondo. ‘Tutte le strade portano a Roma’, si dice ovunque nel mondo, ma non tutte le strade sono uguali. La Via Appia è unica nel ricondurci indietro nel tempo, nel restituirci inalterata nel suo fascino l'atmosfera dei primi secoli dell'era cristiana.

- - -

Durante la vista potete cogliere l'elemento che caratterizza la Roma di oggi, quello di una città in movimento, capace d'integrare il proprio passato, unico, con le esigenze del presente; con un occhio sempre rivolto al futuro.

Charta Appia ― ma non tutte le strade sono uguali_b0024177_16163118.jpg

| # by dicotomia | 2007-05-05 01:22 | いろんなイタリア語
Ma io mi chiedo... cos'è che ci ha fatto incontrare?
Com'è che l'ideogramma "EN" ha così tante chiavi di lettura?
 「なぜ 『縁』 という字には何通りも読み方があるか知ってる?」

"EN"? Uhm...
In effetti si può leggere "ENISHI"... "YUKARI"... e anche "YOSUGA"...
 「エン? ・・・ああ、確かに 『エニシ』、『ユカリ』、『ヨスガ』 ・・・ なんてのもあるわね。」

Esatto, ma per ognuno di questi il significato è leggeremente differente, vero?
 「そう、しかも少しずつ意味合いも違うんでしょう」

Dopo aver fatto un po' di ricerche ho scoperto che "EN" ha origini buddiste...
"IN", cioè un legame che ha cause dirette, mentre "EN" è un legame che ha cause indirette... quando "IN" ed "EN"si intersecano, ecco che prendono vita gli eventi...
 「調べてみたら元は仏教用語なのね・・・
  直接的原因である 『因』 と間接的原因である 『縁』 が関係しあって初めて事物が生じる・・・」

In altre parole, in un incontro uomo-donna, anche se si presenta il legame "IN", senza "EN" non si potrà mai parlare di legame affettivo...
 「つまり合コンという 『因』 の手続きをふんでも 『縁』 がなければ恋人はできないわけだ」

Per quanto tu possa frequentare dei fornitisimi negozi, senza "EN" non potrai mai incrociare il tuo modello da sballo!
 「どんなに足繁くフィギュアショップに通っても 『縁』 がなければレア物には出会えない
  わけですねっ!」

Be', in un certo senso...
 「まあ・・・・・・ そうね・・・・・・」

In inglese non dovrebbe esistere... Concetti così confusi, incerti e precari sono inconcepibili nella religione cristiana...
 「英語にはないはずだな・・・ こんな無秩序で不確実な概念、キリスト教圏ではありえない」

― citazioni da "Sei il mio cucciolo!"



 Anche gli incontri casuali sono opera del destino.
  「袖振り合うも多生の縁」

日常においても 旅先においても、
そのような深い縁を感じる出逢いに思いもよらず恵まれることがありますね。
私とイタリア語の出逢いもそうでした。
最初はほんの小さな出逢いだったとしても。
それを見落とさないように、見失わないように、
感謝の念を抱きながら 大切に大切に育んでいきたいです。
と思いつつ・・・  Parto per l'Italia. A presto !!
| # by dicotomia | 2007-04-26 01:27 | いろんなイタリア語
ふれあい街歩き
人間が手で作ったものだからね、
みんな価値があるんだよ。
美しい、そうじゃないに関係なく
苦労して人がこつこつ作ったものは
とても価値があるんだ。


・・・と、フィレンツェの風変わりなステキな水道管屋のオジサンが言ってましたね。
(dettato にもチャレンジしてみましたが、途中で断念しました(T-T )
このお店、オルトアルノのとある路地・・・とありますが、どこにあるんだろう?
いつかフィレンツェに行くことがあったらぜひ訪れて
オジサンの熱い語りを聴きながら 自慢のコレクションを拝見したいです。

trombaio : 《トスカーナ》(水道の)鉛管工、配管工≫

この他にも、「ラクガキはだめだよ」 と言って壁のラクガキをペンキで消すオジサン。
ドゥオモの彫刻作品の複製を作成する付属工房。 大理石細工の工房。
元はメディチ家の馬小屋だったという、ウフィツィ美術館の真下にあるボート学校。
馬が移動手段であった時代の、馬を繋ぎ止めておくための壁の"輪っか"。
「なぜ今でも残されているのか」 という問いに 「美しいから。街の飾りだよ」 という答え。
今回のフィレンツェ も見応えがありましたね。
今までに見たことのない この街の姿に触れることができました。

ということで、NHK総合 『世界ふれあい街歩き』 、
3週目にして気がつきましたが今月はイタリア特集のようです。
先々週、先週はローマ、今週はフィレンツェでした。 次週は ボローニャ です。
(※BShi や BS2 で放映済みのモノの再放送です)

ただ、放送時刻がこの4月から変更になり
NHKテレビイタリア語会話とバッティングするようになってしまいましたね~。

◆       ◆       ◆

dettato、フィレンツェオジサンを断念した代わりに、
今週のNHKテレビイタリア語会話の一節に挑戦してみましたが・・・

Questa opera raffigura l'arcangelo Gabriele ?1 la madonna che sarà la madore di Gesù Cristo. Come potete vedere il gesto della mano sinistra della madonna ?2 la sorpresa mentre la sua espressione si fa capire la decizione nell'accogliere l'annuncia divino.

この絵は 大天使ガブリエルが聖母マリアに
イエス・キリストを身ごもったことを告げる場面が描かれています。
左手を上げて驚きを示すマリア
その表情には神のお告げを聞き入れた決意がみてとれます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、『受胎告知』 の説明です。

う~ん・・・ ?1 に 「告げる」、 ?2 に 「示す」 という意味の動詞等が入ると思うんですけど、
わ、わかりませんでしたー。えーんっ! raffigura も怪しい気がします~。
この番組を録画された方、ぜひ正解を教えてください!


***************************

『世界ふれあい街歩き』
総合 毎週月曜日深夜(火曜午前)00:10~00:54 放送
BShi 毎週火曜日19:00~19:44 放送
BShi 毎週金曜日09:00~09:44 再放送
BShi 毎週日曜日12:00~12:44 アンコール放送

旅の真髄。 観光地巡り(だけ)ではなく、こんなふれあいのある街歩きをしたいものです。
| # by dicotomia | 2007-04-20 06:28 | いろんなイタリア語
ナポリの 「3C」

『バール、コーヒー、イタリア人  グローバル化もなんのその』
≪島村菜津 著/光文社≫

おおっ、これはワタクシのために上梓された一冊かも~♪
なんて勘違いも甚だしく 嬉々として読了。
著者は 『スローフードな人生!』、『スローフードな日本!』 等で
お馴染み、日本におけるスローフード運動の第一人者である
島村菜津さん。


ある意味 タイトル通り、「バール」、「コーヒー」、「イタリア人」 についての多岐にわたる考察が
一冊の本として通して読むには 少々バラバラ感が否めない展開で綴られております(笑)
(例えば後半では、コーヒーの歴史、カフェの歴史が語られたと思ったら、
次はコーヒーに関する名言集、そして、コーヒー経済学 = 昨今の世界的コーヒー危機・・・
生産過剰による市場価格の大暴落と品質低下のスパイラル、大多数小規模農園の惨状、
フェアトレードの現状・・・などについてまで言及されています)
個人的には 第二章、第五章あたりの 「バール+イタリア人」 に関する話題を
もう少し充実させてほしかった! やや物足りなさを感じましたよ~。

効率性・マニュアル化などこれっぽちも追求せず、量より質にこだわり、
多種多様性に対応すべく柔軟なイマジネーションと広い度量を持ち、
地元コミュニティと密着、連携しながら、伝統、慣習、豊かな地方色を尊び守り続け、
ただ悠然とスローななりわいを続けている。
そこで人々は自身を解放し、人間味あふれる対応の心地良さや心の触れ合いを大いに愉しむ。
筆者が大好きだと語るイタリアのバールの形態とそこで繰り広げられる人間模様は
まさにイタリア社会の縮図であり、私が漠然と抱き続けているイタリアの魅力は
まさにこの世界に凝縮されているのではないかという感触を得ました。(たぶんちょっと言い過ぎ?)

◆       ◆       ◆

「一杯のコーヒーを飲むのは、どんな人にも平等に与えられた基本的人権である」
立ち飲みのCaffèの値段が安くてほぼ全国一律なのはなぜか。
以前は国が法律で価格の上限を定めていたが、現在その管轄は地方自治体に移り、
「店内に価格が明示してあればいくらにしてもよい」 という、資本主義経済において
自由競争原理に適った、至極当然の法律に変更されたそうで・・・
って、まずCaffèの価格について法律で定められているという事実に驚愕ですよ(笑)
そして、それでもなお、地域や店舗格差がほとんど生じることなく、いつも変わらぬお手頃価格。
イタリア人におけるCaffèは、人間らしい暮らしに欠かすことのできないアイテムであり、
かつ、その幸福を追求する基本的人権が、万人の共通見解として保障されている社会である
ことがわかります。 おおー、理想郷だーー。

「スターバックスは本当にイタリアには進出できずにいるのか?」
筆者はイタリア飲食業協会に手紙でこう問い合わせをしたそうです(笑) ― 答えは Sì.
世界を席巻しているスターバックスがなぜイタリアにないのか。
イタリア食文化において強く保たれている地域性や地方性は、バールのCaffèも然り。
そのうえ、さらに人々は思い思いこだわりのマイコーヒーの注文を楽しみます。
しかし、ここで求められているのは単に好みの味の提供ではなく、
人と人とのつながり、行き届いたサービスや人間らしい柔軟な対応です。
マニュアル重視・画一的・世界展開のチェーン店では
その多様なニーズに応えるべく 融通性は持ち得ていません。
イタリアで、バールやカフェという名のつく店は15万5000店舗を超え、今もなお増え続けており、
そして、そのほとんどが個人経営の店だそうです。

「古き良き時代のナポリの社会を象徴する文化 ― "Caffè sospeso"
バールで一杯のCaffèを飲むのに、裕福な人物は二杯分の代金を支払っていく。
それによって後からやってきた懐の淋しい人物が、その残り一杯分の代金で、すなわちタダで
Caffèを享受することができる ― Caffè sospeso と呼ばれる粋な風習が
かつてのナポリには存在したという。
同じアパートの地上階には貧しい庶民、その上に少し裕福な商人、さらにその上には貴族、
といった具合に、様々な階級の人間が日常的に触れ合い、向き合って暮らしてきた
ナポリの伝統的な街の姿を象徴する文化。
注目すべきは、裕福な人物の同朋に対する計らいの心だけではなく、
やはり人と人とを結び付ける仲介役としてバールが重要な役割を担う存在であったことと、
このシステムが成立するために不可欠な、バール店主と客との信頼関係でしょうか。

◆       ◆       ◆

さて。 美味しいCaffèを淹れるための4つの条件 「4M」(quattoro emme)については
コーヒー業界ではよく耳にしておりましたが
  Miscela (厳選された豆、バランスの良いブレンド)
  Macinatura (最適抽出できる豆の挽き方)
  Macchina (性能の良いエスプレッソマシン)
  Mano (バリスタの技術)

今回、この本で初めて知ったのが (どこまで一般的かわかりませんが) ナポリの 「3C」 (笑)

「ナポリはエスプレッソの聖地だ」
Anche i miei amici mi dicevano così.
Anch'io la penso così... ナポリの Caffè は格別でした。

南部の傾向である極深煎り豆を使用した抽出量の少なめのCaffè は
きめ細かな厚いクレマに覆われ、がっちりとした濃厚な甘苦さと深いコクが際立ち、
飲み終えた後も芳醇なアロマが口の中を満たし、暫くの間 甘美な後味を愉しませてくれます。
ナポリでは、この理想的な深煎りロースト度合いを "tonaca di monaco"※1
= 「修道士の僧衣」のような色※2 と言うそうです。
 (※1.本書には 「トカナ・ディ・モナコ」 と記されていたが、多分誤植。)
 (※2.フランチェスコ修道会系の焦げ茶色)

そしてナポリのCaffèの特徴といえば
kaiokoさんも触れていらっしゃいましたが( ナポリ:Gambrinusでお茶を。
無警戒で触ると思わずびっくり☆ひっくり返しそうになるほどに 熱々に温められたカップ!
エスプレッソの大切な大切なアロマを最大限に保つための心配りでありますが、
湯煎器を使ってあそこまでカップを温めておくのは、ナポリのバール独自の慣習のようです。
それゆえナポリのCaffèは、このナポリ流儀に不慣れな客がつく悪態を表現して
「3C」 と言われているとのこと・・・

 「Cazzo! Come Caldo!」 ( = くそっ! 熱いじゃないか!) (笑)

| # by dicotomia | 2007-04-16 00:56 | いろんなイタリア語
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